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保守主義の哲学---ルソー主義の呪縛を滅すための試書

2012/04/30 01:15

 

 

 

 平成24年4月29日(昭和の日)に日本国、天皇(皇室)、日本国民に捧ぐ。

 

 これは、 「ルソー主義の呪縛を滅すための試書」である。

 

 渾身の長文であるため、興味ある方のみ、プリントアウトして読まれることを望む。

 

 PDF fileクリック→ ルソー主義の呪縛を滅すための試書(清書・修正版)

 

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新刊情報---『撃論』第四号(vol.4)発売、中川八洋 「真赤な嘘だらけのTPP亡国論」等

2012/03/09 21:53

 

 読者の皆様へ。

 

 『撃論 第四号(vol.4)』(表題:「女性宮家は、天皇制廃止の共産革命」』、オークラ出版、2012年03月09日)が発売されましたのでお知らせします。

 

 この中で、中川八洋 筑波大学名誉教授が「真赤な嘘だらけのTPP亡国論」と題して、

 

 売国奴ワースト1(『撃論』113頁)の中野剛志を筆頭とするTPP反対(真正)売国奴らの「TPP亡国論」の

 

 嘘・出鱈目・二枚舌・妄想・論理転倒、及び中野剛志『TPP亡国論』の非学問性と、学術的分析と理論を一切排除したヒ

ットラー型プロパガンダ術(同著116頁)について、バッサリと切り捨ておられます。

 

 また、中川八洋氏は、廣宮孝信、リチャード・クー、三橋貴明などは「ノンフィクション作家とはいえても一片の学者性もなく、それらの著作(について)は、(京大准教授たる中野剛志が)学術的な論文で言及することは(学会・学者の常識として)許されない」(116頁)と、中野剛志の学者としての欠陥性をズバリ指摘しておられます。

 

 そのほか、この『撃論 第四号(vol.4)』では、皇統問題・福島原発問題・TPP問題・ロシアの軍事脅威北朝鮮拉致問題・従軍慰安婦像等々について次のような顔ぶれの論陣となっています。

 

 (皇統関連) 平沼赳夫、百地章、八木秀次

 

 (従軍慰安婦関連) 渡辺昇一

 

 (橋下徹「船中八策」関連) 稲葉耕平

 

 (ロシア軍事脅威など) 西田譲、赤星慶治

 

 (福島原発事故関連) 田母神俊雄VS中川八洋、高田純、中村仁信

 

 (北朝鮮・金正恩関係) 西岡力、中山恭子

 

 (TPP関連) 東谷暁、渡邊頼純、山下一仁、中川八洋

 

 (電力・エネルギー関連) 山本隆三、松浦晋也

 

 (日章旗・日の丸不起立問題) 西村眞吾

 

 ・・・。

 

 面白そうですね。

 

 興味ある方は、次をクリックあるいは書店で購入して、ぜひ読みましょう。

 

 →http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss_1?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%8C%82%98_&x=14&y=23

 

エドマンド・バークを信奉する保守主義者

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保守主義の哲学---第19回バーク『フランス革命の省察』、人間の真の諸権利

2012/03/05 00:05

 

 読者の皆様には、いつも〔=ブログ作成者〕の稚拙な小論をお読み頂き、深く御礼申し上げます。

 

 さて、邦訳Series 19回目は、エドマンドバークフランス革命の省察』の中から“人間の諸権利”と題してバーク保守理論の邦訳を進めたい。

 

 本ブログの目的は、社会主義共産主義思想の唯一無二強力な解毒薬である保守主義の父エドマンドバーク真正保守哲学日本国民拡散し、徹底的に周知し続けることによって、民主党社民党共産党及びその他の社会主義政党などの政治思想を理論的破壊することにある。

 

 読者の皆様には、国家を滅亡へ至らしめる社会主義共産主義を日本国から消滅させるべく“バーク保守哲学”つまり“真正保守自由主義哲学”の日本全土への大拡散に、ご協力頂きたい次第である。

 

 なお、今回はEバークフランス革命の省察』の翻訳“人間真の諸権利と併せて、FAハイエクの“正義個人権利を『ハイエク全集』、春秋社から一部抜粋して〔=ブログ作成者〕が編集したものを掲載した。

 

 ただし、両者を合わせるとブログとしては、ほんの若干程度のボリューム大となるため、「長文?」を読む根気集中力のある方には、ぜひとも最後まで読んで頂きたいと思っている。

 

 ◇◇◇真正の自由(保守)主義者の言葉◇◇◇

 

 国家を樹立しようとするに当って契約ということがなされるとする仮説はばかげており、これはルソーが理念的・仮説的一時しのぎの説として考えているだけのものである。

 

 というのも、彼はこれを、過去にあった事実として示そうとしているのではなく、自分の説に基づいた、国家のあるべき姿として示そうとしているからである。

 

 未だいかなる国家も、真の契約、すなわち、あらゆる面から自由意志によってなされた契約〔inter volentes〕によって成立したことはない。

 

 (ヤーコプ・ブルクハルト『世界史的考察』、ちくま学芸文庫、56頁)

 

 いずれにしても、ルソー以後の時代になって初めて、自分たちの時代は、過去を一括して、倫理的にこれより優っていると思い込むに至ったのであるが、この場合その出発点となったのは言うまでもなく、人間はそもそも本質において善であるという前提であった。

 

 これはまるで、人間の善良さは今に至るまで発言の機会を与えられなかっただけであり、もし人間がひと度、力を得るに至れば、かの善良さが輝かしく姿を現さずにはいないとでもいうみたいである!

 

 人々はこうした考えから〔フランス革命において〕過去全体を相手取って訴訟を起こす権利が自分達にあるとした。

 

 しかし、己惚れたっぷりの現在のこうした倫理的優越を信じるようになったのは、実はようやく最近数十年のことなのであり、これらの(過去数十年間の)時代は(既に)、倫理的に自分達より劣っているという点で古代をももはや例外としない

 

 (→〔=ブログ作成者〕の補足:過去数十年は、既に古代に比して倫理的に優越しているとは言えない。我々の「現在」も数十年後の「未来」には同じ運命を辿るにすぎない、ということ)。

 

 (ヤーコプ・ブルクハルト『世界史的考察』、ちくま学芸文庫、117頁)

 

 神聖不可侵の権利(→「主権」、「主権者」)は最高の意味において、この権利(「主権」)にかつて仕えたことのあるまさにその諸民族の運命とされてしかるべきである。

 

 このような(「主権」振りかざす「主権者」に支配され、仕えた)民族はもはや決して自由を享ける資質を持つことの(でき)ないのは言うまでもない。

 

 最も初期の諸世代が置かれていた奴隷状態は今日にいたるまでその血の中に影響を及ぼし続けている

 

 (→「人民主権」、「君主主権」、「国民主権」はすべて「主権」であることは同じ。この意味を踏まえて、上記ブルクハルトの言葉の意味を考えるべし)。

 

 すなわち、神聖なる文書(→例えば「1789フランス人権宣言」など)はそれだけ見て省察するよりはむしろ、このような民族において(その文書の陰で)阻害されていたもの、また抑圧されていたものを照合確認した上で初めてそうした文書を省察する時、(歴史を省察する上で)最高度に啓発的なのである。

 

 これに加えてさらに、(神聖不可侵の権利=主権の存在するところでは、)遅かれ早かれ間違いなく専制政治が支配を握り、宗教をその支えとして濫用するのが常であるということが起こってくる。

 

 (ヤーコプ・ブルクハルト『世界史的考察』、ちくま学芸文庫、187188頁)

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 中川八洋 筑波大学名誉教授の新著(アマゾンへリンク→『脱原発のウソと犯罪』、日新報道)を読まれたであろうか。

 

 もし、多くの日本国民がこの著作の全頁を読了し、反日極左思想一色に覆われた日本社会の惨憺たる現状を、一旦理解すれば、

 

 ――何故日本国に、早急に、エドマンドバークFA・ハイエク世界真正自由保守主義者政治哲学復活させ、再構築させる必要があるのか――

 

 を必ず御理解いただけるはずだ、と〔=ブログ作成者〕は確信している。

 

 中川八洋『脱原発のウソと犯罪』を未読の日本国民はぜひ読んで頂きたいと思う。

 

 19回(今回)邦訳PDFファイルを開く(クリック)

 

 →保守主義の哲学---19回バーク『フランス革命の省察』、人間の真の諸権利

 

 FA・ハイエクの“正義と個人の権利”PDFファイルを開く(クリック)

 

 →Friedrich August von Hayek,「正義と個人の権利」

 過去の邦訳(第1回~第19回)の目次ページへ移動する

(クリック)

 

 →フランス革命の省察』の過去の邦訳と関連資料の目次ページ

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保守主義の哲学---第18回バーク『フランス革命の省察』、デモクラシーの弊害

2012/02/20 00:50

 

 読者の皆さまには、いつも〔=ブログ作成者〕の稚拙な小論をお読み頂き、深く御礼申し上げます。

 

 さて邦訳Series 18回目は、エドマンドバークフランス革命の省察』の中から“デモクラシーの弊害”と題してバーク保守理論の邦訳を進めたい。

 

 本ブログの目的は、社会主義共産主義思想の唯一無二強力な解毒薬である保守主義の父エドマンドバーク真正保守哲学日本国民拡散し、徹底的に周知し続けることによって、民主党社民党共産党及びその他の社会主義政党などの政治思想を理論的破壊することにある。

 

 読者の皆さまには、国家を滅亡へ至らしめる社会主義共産主義を日本国から消滅させるべく“バーク保守哲学”つまり“真正保守自由主義哲学”の日本全土への大拡散に、ご協力頂きたい次第である。

 

 日本国民の皆様平成24210日に発行された、中川八洋 筑波大学名誉教授の新著(アマゾンへリンク→『脱原発のウソと犯罪』、日新報道)を読まれたであろうか。

 

 もし、多くの日本国民がこの著作の全頁を読了し、反日極左思想一色に覆われた日本社会の惨憺たる現状を、一旦理解すれば、

 

 ――何故日本国に、早急に、エドマンドバークFA・ハイエク世界真正自由保守主義者政治哲学復活させ、再構築させる必要があるのか――

 

 を必ず御理解いただけるはずだ、と〔=ブログ作成者〕は確信している。

 

 ◇◇◇真正の自由(保守)主義者の言葉◇◇◇

 

 「法の支配」は、自由主義の時代に初めて、意識的に発展させられたものであり、その時代が達成した最大の偉業の一つである。

 

 それは単に自由の保障制度というだけでなく、自由そのものを法に体現したものなのである。

 

 …立法者の権力にはどんな制限もないという考えは、部分的には、主権在民(=人民主権)主義と民主主義政治(=デモクラシー)がもたらした結果である。

 この考え方は、国家によるあらゆる活動が立法によって正当に権威づけられたものであるかぎり、「法の支配」は維持されうるという信念によってますます強化されてきた。

 

 だが、その信念は、「法の支配」の意味を完全に誤解している。

 

 この(「法の支配」という)ルールは、政府の一切の活動が司法上の意味において合法的かどうかという問題とは、ほとんど関係がない。

 

 政府活動は、合法的でありながら「法の支配」に背くことがありうる。ある者の行っている行動が完全な合法的権威を持っているということは、法律が彼に勝手に行動していい権力を与えているということなのか、それとも法律が彼の行動を前もって明白に規定しているということなのか、まったく答えていない。

 

 また、例えばヒットラーは、厳密に合憲的な(デモクラシーの手続きを踏んだ)方法でその無制限な権力を手に入れたのだから、彼がどんなことを行っても司法上は合法である、ということは言えるかもしれない。

 

 だが、だからといって、誰がドイツで「法の支配」がいまだに堅持されていると言うだろうか。

 

 (FA・ハイエク『隷属への道』、春秋社、104105頁)

 

 政府の活力は自由の保障のために不可欠であること、確かな慎重な判断に従えば両者の利害は本来分離しえないものであること、強固にして効率的な政府を熱望する一見厳しい外見よりも、むしろ人民の諸権利を標榜するもっともらしい仮面の陰に、かえって危険な野心が潜んでいることが、同じく忘れられることになろう。

 

 歴史の教えるところでは、後者〔人民の友といった仮面〕の方が、前者〔強力な政府権力〕よりも、専制主義を導入するのにより確実な道であった。

 

 そして共和国の自由を転覆するに至った人々の大多数は、その政治的経歴を人民への追従から初めている。

 

 すなわち、煽動者たることから始まり、専制者として終わっているのである。

 

 (A.ハミルトン・J.ジェイ・J.マディソン『ザ・フェデラリスト』、岩波文庫、19頁)

 

 このような見地からすれば、直接民主政〔ピュア・デモクラシー〕、つまり少数の市民から構成されており、その全市民が自ら集会し、自ら統治する社会を意味する直接民主政は派閥のもたらす弊害に対してこれを匡正することはできないのである。

 

 というのは、〔直接民主政では〕ある共通の感情あるいは利益が、ほとんどあらゆる場合に全員の過半数の者の共鳴するところとなろうからである。

 

 また、相互の意思の疎通と行動の一致とが、その政治形態そのものから容易に可能となるからである。

 

 従ってまた、弱小の党派や気に入らない個人は、これを切り捨ててしまうという誘惑を抑えるようなものは何もないからである。

 

 それゆえに、直接民主政諸国家は、これまで常に混乱と激論との光景を繰り広げてきたのであり、個人の安全や財産権とは両立し難いものとなり、また一般的にその生命は短く、しかもその死滅に際しては暴力を伴うものとなってきたのである。

 

 この種の〔直接〕民主政治形体を支持する理論好きな政治家は、人間をその政治的諸権利において完全に平等なものとすれば、直ちにその財産・思想・感情においても完全に平等なものとなり、かつ相互に同一化されるであろうと考える誤りを犯してきたわけである。

 

 共和政国家という言葉で、私は代表という制度(=代表制)をもつ統治構造を指している…。

 

 (A.ハミルトン・J.ジェイ・J.マディソン『ザ・フェデラリスト』、岩波文庫、60頁)

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 18回(今回)邦訳PDFファイルを開く(クリック)

 

 →保守主義の哲学---18回バーク『フランス革命の省察』、デモクラシーの弊害

 

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保守主義の哲学---第17回バーク『フランス革命の省察』、偏見の哲学

2012/02/14 01:51

 

 読者の皆さまには、いつも〔=ブログ作成者〕の稚拙な小論をお読み頂き、深く御礼申し上げます。

 

 さて邦訳Series 17回目は、エドマンドバークフランス革命の省察』の中から“偏見の哲学”と題してバーク保守理論の邦訳を進めたい思う。

 

 本ブログの目的は、社会主義共産主義思想の唯一無二強力な解毒薬である保守主義の父エドマンドバーク真正保守哲学日本国民拡散し、徹底的に周知し続けることによって、民主党社民党共産党及びその他の社会主義政党などの政治思想を理論的破壊することにある。

 

 読者の皆さまには、国家を滅亡へ至らしめる社会主義共産主義を日本国から消滅させるべく“バーク保守哲学”つまり“真正保守自由主義哲学”の日本全土への大拡散に、ご協力頂きたい次第である。

 

 なお、日本国民の皆様方は、平成24210日に発行された、中川八洋 筑波大学名誉教授の新著(『脱原発のウソと犯罪』、日新報道)をお読みになられたであろうか。

 

 もし、多くの日本国民がこの著作の全頁を読了し、反日極左思想一色に覆われた日本社会の惨憺たる現状を、一旦理解できたなら、

 

 ――何故日本国に、早急に、エドマンドバークFA・ハイエク世界真正自由保守主義者政治哲学復活させ、再構築する必要があるのか――

 

 を必ず御理解いただけるはずだ、と〔=ブログ作成者〕は確信している。

 

 ◇◇◇真正の自由主義者の言葉◇◇◇

 

 アクトン卿曰く、

 

 Whenever a single definite object is made the supreme end of the State, be in the advantage of class, the safety or the power of the country, the greatest happiness of the greatest number, or the support of any speculative idea, the State becomes for the time inevitably absolute. Liberty alone demands for its realization the limitation of the public authority, for liberty is the only object which benefits all alike, and provokes no sincere opposition.

 

 (Acton, Essays in The History of Liberty, edited by J. Rufus Fears, pp.424)

 

 ある一つの明確な事柄が国家の究極目的となったとき、国家は、一時的にせよ、必ず絶対的なものとなる。

 

 たとえ、その目的が、特定階級の利益追求であれ、国家の安全や軍事力の追求であれ、最大多数の最大幸福の追求であれ、思索上の理想の追求であれ、同じことである。

 

 自由のみが、その目的の実現のために公的権力に制限を加えることができる。

 

 なぜなら、自由だけが万人に等しく恩恵をもたらすものであり、万人の本心からの反論を呼び起こすものではないからである。(※ 邦訳:〔=ブログ作成者〕。)

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 (以下、本文)

 

 17回(今回)邦訳PDFファイルを開く(クリック)

 

 →保守主義の哲学---17回バーク『フランス革命の省察』、偏見の哲学

 

 過去の邦訳(第1回~第16回)の目次へ移動(クリック)

 

 →フランス革命省察過去邦訳関連資料目次ページ

 

 

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保守主義の哲学---第16回バーク『フランス革命の省察』、統治の資格

2012/02/06 02:12

 

 読者の皆さまには、いつも〔=ブログ作成者〕の稚拙な小論をお読み頂き、深く御礼申し上げます。

 

 長らく期間が開きましたが、邦訳Series 16回目は、エドマンドバークフランス革命の省察』の中から“統治の資格”と題してバーク保守理論の邦訳を再開したいと思う。

 

 本ブログの目的は、社会主義共産主義思想の唯一無二強力な解毒薬である保守主義の父エドマンドバーク真正保守哲学日本国民拡散し、徹底的に周知し続けることによって、民主党社民党共産党及びその他の社会主義政党などの政治思想を理論的破壊することにある。

 

 読者の皆さまには、国家を滅亡へ至らしめる社会主義共産主義を日本国から消滅させるべく“バーク保守哲学”つまり“真正保守自由主義哲学”の日本全土への大拡散に、ご協力頂きたい次第である。

 

 なお、今回から邦訳の掲載スタイルを若干軌道修正した旨、申し添えておきます。

 

 邦訳PDFファイルを開く

 

 (クリック)→邦訳16エドマンド・バーク『フランス革命の省察』

 

 

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新刊情報---中川八洋『脱原発のウソと犯罪』、日新報道(2/8発売予定)

2012/02/01 00:36

 

 読者の皆様、中川八洋 筑波大学名誉教授の新刊『脱原発のウソと犯罪』、日新報道

 

 が、2012年2月8日発売予定との情報を私の尊敬する盟友から頂きました。

 

 物事の真実・本質を見極めたい方はぜひお読みください。

 

 →アマゾン中川八洋『脱原発のウソと犯罪』、日新報道

 

 

 

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保守主義の哲学---日本国の天壌無窮の繁栄あらんことを願って

2012/01/27 23:42

 

 

 

 読者皆さま

 

 大変遅くなりましたが、謹んで新春のお慶びを申し上げます。

 

 本年もご指導ご鞭撻の程、よろしくお願い申し上げます。

 

 さて、本ブログの平成24年第1回目は「日本国の天壌無窮の繁栄あらんことを願ってPDF」である。

 

 この〔=ブログ作成者〕の拙論は、表題の文言意味エドマンドバークハイエクらの真正自由(保守)主義哲学に興味と関心を抱かれる人々には僅かに「読む価値がある」のかもしれない。

 

 だから逆に、「女性宮家女性天皇女系天皇」の制度新設、つまり「天皇制廃止皇統断絶」を謀る反日極左左翼)の逆賊らにとっては「読む価値は何もない」ことになるので添付のPDFファイルを開く必要すらないことを最初に申し述べておく。

 

 兎に角、拙論に興味を抱く少しでも多くの日本国民に読んで頂ければ幸いである。

 

 PDFファイルを開く(クリック)日本国の天壌無窮の繁栄あらんことを願ってPDF

 

平成24127日掲載(神戸発)

 

エドマンドバークを信奉する保守主義者

 

 

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保守主義の哲学---果たしてあなたは「自由主義」を正しく理解していますか?

2011/12/26 01:53

 

 読者皆さまには、いつも〔=ブログ作成者〕の稚拙な小論をお読み頂き、深く御礼申し上げます。

 

 さて、今回は――果たしてあなたは「自由主義」を正しく理解していますか?――と題して、FAハイエクの著作の中から自由主義正しく理解するのに適当な一節を抽出して掲載することとした。

 

 例えば、あなたが「二つの自由主義」の発展過程と「民主主義」、「権威主義」、「全体主義」との関係を説明せよと問われた場合、我々日本国民はその問いにどの程度正しく答えられるだろうか。

 

 その結果想像に難くないので触れないが、ここで〔=ブログ作成者〕が抽出したハイエクの「自由主義」に関する説明は極めてコンパクトに理解しやすく纏まっているので、よく読んで「真正の自由主義」とは何かについて理解を深めて頂きたいと思う。

 

 なお、現在停滞しているエドマンドバークの主著『フランス革命の省察』の邦訳掲載については、年明けの平成241月より再開する予定です。

 

 ―――『ハイエク全集Ⅱ-5「政治学論集」』、春秋社、6770頁より―――

 

 二つの自由主義

 

 ここでいう「自由主義」とは、そもそも17世紀後半の旧ホイッグ党の頃に生まれ、19世紀末のグラッドストーンの時代にかけて、イギリスで発達した理想的政治秩序にかんする概念と解釈されるものとする。

 

 イギリスでこの思想潮流を代表する人物としては、デヴィッドヒュームアダムスミスエドマンドバークTBマコーレーアクトン卿が挙げられるだろう。

 

 「法の下での個人の自由」というこの概念が、ヨーロッパ大陸での自由主義運動を啓発し、アメリカの政治的伝統の基盤となった。

 

 他国の優れた政治思想家を挙げれば、フランスのB・コンスタンAトクヴィル、ドイツのイマヌエルカント、フリードリヒ・フォン・シラー、ヴィルヘルム・フォン・フンボルト、アメリカのジェームズマディソンジョンマーシャル、ダニエル・ウェブスターなどが、明らかにこの潮流に属する人びとである。

 

 この自由主義は、同じく「自由主義」と呼ばれるもので、大陸ヨーロッパの伝統に則り、現在アメリカでリベラルとして理解されているものへとつながる考え方とは、明らかに区別されなければならない

 

 こちらの考え方も、当初は前者の伝統に模して始まったものだが、フランスで優勢だった設計主義的合理主義の精神に基づいて解釈され、その結果、まったく違う考え方を生みだした。

 

 つまり、政府の権力に対する制限を主張するものではなく多数派に無制限の権力を与える理念を作り上げてしまったのだ。

 

 これが、ヴォルテールルソーコンドルセから、フランス革命つながる系譜であり、近代社会主義の原型となった。

 

 イギリスの功利主義は大陸のこの系譜から多くを引き継いでおり、ホイッグ党リベラル派哲学的急進派功利主義との合同から生まれた19世紀末のイギリス自由党も、この二つの流れが融合したものであった。

 

 自由主義と民主主義は両立するものであるが、同じものではない

 

 前者は、政府権力の範囲に関するものであり、後者はだれがその権力を掌握するかに関するものである。

 

 それぞれの対抗概念を考えてみると、その違いがよくわかるだろう。

 

 自由主義の反対は全体主義であり、民主主義の反対は権威主義である。

 

 ということは、少なくとも理論上は、民主主義政府全体主義であることは可能だし、権威主義的政府自由主義的規範に則った行動をとることも可能なはずだ。

 

 先にあげた第二自由主義は、自由主義ではなく民主主義の原理となって多数派に無制限の権力を与えることを主張し、それは基本的には自由主義と対立するものとなる。

 

 「自由主義」と称する二つの政治哲学は、いくつかの点では似たような結論にいたるものだが、まったく異なる哲学的基盤にもとづくものであることは明記しておかなければならない。

 

 最初に挙げた方は、文化や精神などすべての事象にかんして進化論的な解釈を施し、人間の理性の力の限界についての洞察にもとづくものである。

 

 後者は私が「設計主義的合理主義と呼ぶものにもとづいており、すべての文化的事象は意図的な計画の産物であり、その計画に従って既存の制度を再構築することが望ましいし、またそれは可能であるという信念に立っている。

 

 前者伝統を重視し、すべての見識や文明は伝統に根ざすものであることを認めるのに対し、後者は、個別に存在する理性による文明の構築が可能であると考えるから、伝統を軽蔑するようになる

 

 〔たとえば、ヴォルテールは「良い法律が要るのなら、現在の法律を燃やして、新しいのを作れ」といっている〕。

 

 さらに前者は、理性のかぎられた力を伸ばす唯一の方法として抽象化に頼る、いわば謙虚な心情だが、後者はそのような限界を認めることを拒否し、理性のみで特定の具体的な配列状態の妥当性を判断できる信じている

 

 〔この違いのおかげで、第一自由主義は少なくとも宗教と相いれないものではなく信仰厚い人びとによって信じられ時に発展させられてきた。一方「大陸自由主義すべての宗教を敵視し、政治的にはつねに宗教組織と対立してきた〕。

 

 イギリスの自由主義の由来

 

 ここからは、第一自由主義だけを論じていくが、この概念は最初から理論的に構築されたものではない。

 

 そうではなく、当初はただ単に支配者を信用できないという理由で政府権力に制限を設けただけであった。

 

 それが予期せぬ形で有益な効果をもたらしたために、その効果を広く普遍化させようという願望が生まれた。

 

 自由主義はこのように、社会事象における自生的秩序、あるいは自然発生的秩序発見に端を発している〔この発見で、理論的社会科学の研究対象の存在が認識された〕。

 

 この秩序は、中央からの指示で作りあげられた秩序では考えられないくらい広範囲に社会のあらゆるメンバーの知識や技術を活用することを可能にし、その結果、そのように力強い自生的秩序を形成する力をできるかぎり活用しようとする願望も生まれてきた。

 

 このように不完全な形でありながら、すでに存在する秩序の原理を明白にしようとする努力のなかで、アダムスミスらは、自由主義基本原理を発展させ、その原理を普遍化することの利点を証明しようとしたのである。

 

 その過程で彼らは、コモンロー正義概念がよく知られていること、また法の支配法の下の政府という理念がよく知られていることを前提に理論を発展させたのだが、そうした理念はアングロ・サクソン世界の外ではあまり理解されていなかった。

 

 ベンサムが、進化論的概念というイギリスの伝統ではなく大陸合理主義に由来する設計主義的功利主義の考え方を採用して、イギリスの伝統を捨ててしまったことで、スミスらの考え方は英語圏以外に広まらなかったばかりでなく、イギリス国内でも理解されなくなってしまった。

 

 自由主義の中心となるのは、正しい行為の一般的ルール施行し、保護されるべき個人の私的領域を識別できるようにすれば、作為的な操作で作りあげるよりもはるかに複雑な秩序が自生的に生まれて、人間の行為を律するようになる、という考え方である。

 

 したがって、政府が強制的に行うことは、そのような一般的ルール施行限られるべきだということになる。

 

 もっとも、それと同時に、そうした強制行為以外にさまざまな行政サービスを提供する際に自由に使用してもよい特定の資源が政府の手に委ねられてはいるが、そうした非強制的な行政サービスがどうであれ、政府の強制行為については、あくまでも一般的ルールの施行に限られるべきなのである。

 

 〔  〕内:ハイエク、アンダーライン及び(  )内:〔=ブログ作成者

 

 ―――『ハイエク全集Ⅱ-5「政治学論集」』、春秋社、6770頁より―――

 

 〔=ブログ作成者〕の解説

 

 さて、上記のハイエクの説明により、我々は、アダムスミスの名著『諸国民の富』を始祖とする、いわゆる古典派経済学とは、英国伝統的自由主義の側にその理論的基礎を置いていることを知った。

 

 それでは、素朴な疑問として古典派理論と対立するケインズ派経済学の理論的基礎はハイエクの述べた二つの自由主義のうちのどちらに属するのであろうか?という疑問が湧くはずである。

 

 ハイエクはケインズの自伝的エッセイから引用してその回答を与えている。

 

 ―――『ハイエク全集Ⅱ-4「哲学論集」』、春秋社、1416頁より―――

 

 この種の合理主義(=設計主義的合理主義)が、あらゆる道徳価値の崩壊と、個人は当人が追い求める目的にたいする個人的評価のみによって導かれるべきであるという信念とに繫がり、そして追い求められる目的によってあらゆる手段を正当化する傾向をもつことは相当に明白である。

 

 この合理主義がつくりだす心理状態は、故ケインズによる自伝的エッセイのなかに明確に描写されている。

 

 ケインズは、20世紀初期に自分や友人たちが抱いていた――そして彼自身30年後もなお変わらないと認めている――見解を描写して以下のように書いている。

 

 (ケインズ曰く、)

 

 「われわれは、一般的ルールに従うという個人の責任を完全に拒絶した

 

 自分たちは、あらゆる個々のケースをそのメリットによって判断する権利があり、その判断を成功裏に行う知恵と経験と自制心があると主張した。

 

 これはわれわれの信念の非常に重要な一部として暴力的かつ攻撃的に保持されていたのであり、外的世界にたいしては、われわれのもっとも明白かつ危険な特徴であった。

 

 服装のきまり、習慣、伝統的知恵などを、われわれは完全に拒絶した

 

 つまり、用語の厳密な意味で、不道徳主義者だったのである。

 

 もちろん、人に見つかることにともなうあれこれの帰結は、それらの価値に応じて考慮されなければならなかった。

 

 しかしわれわれは、遵守し服従すべきものとして、自分に課されたなんの道徳的義務も、なんの内面的道徳拘束力も認めていなかった

 

 神の前で、自分たちの問題では自分たちが裁判官である、と主張したのだった

 

 (ケインズここまで)

 

 この言明が、伝統的な道徳ルール拒否するだけでなく、行為や道徳その他あらゆる種類の拘束力ある抽象的ルールに従おうとすることへの拒否をも含意していることに注目すべきである。

 

 これが含意するのは、人間の知性は、一般的ルール原理が人間に与えてくれる助けを利用することなしに人生を成功裏に秩序づけるに十分なのだ、という主張である。

 

 つまり人間は、すべての可能な行為のさまざまな選択肢のなかからそれらの帰結に対する全面的で明示的な評価をとおし、すべての状況を完全に認識して、自分の活動を成功裏に調整する能力がある、という主張である。

 

 もちろんこのことは、われわれの知的パワーにかんする途方もない仮定を含むだけでなく、われわれが生きている世界がいかなる種類のものに関する全く違った想定をも含んでいる。

 

 それは、われわれが直面するさまざまな実践的問題を、あたかもすべての事実をわれわれが知っていて、それらの問題に対処するという仕事が純粋に知的なものであるかのように取り扱うのである。

 

 残念ながら、多くの現代社会理論もまたこの同じ想定によって、価値を奪われてしまっているのではないだろうか。

 

 人生における決定的な事実としてわれわれは、全知ではないし、そのときどきに以前には知らなかった新しい事実に適合しなければならないのであり、だからこそ、あらゆる個別具体的な行為が相互に前もって合理的に調整されているような事前に考えられた細かい計画に従って人生を秩序づけることなどできないのである。

 

 ―――『ハイエク全集Ⅱ-4「哲学論集」』、春秋社、1416頁より―――

 

【平成231226日掲載 神戸発】

 

エドマンドバークを信奉する保守主義者

 

 

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保守主義の哲学---自由貿易の促進は日本国を亡国に導くのか。

2011/12/25 04:25

 

 フリードマン曰く、

 

 経済学者たちはしばしば意見を異にする。

 

 しかしこのことは、国際貿易に関しては、まったく正しくない

 

 アダム・スミス以来、他の問題に関してのイデオロギー上の立場がどんなものであったにしても、自由な国際貿易こそが通商国だけでなく世界全体のためにとって最善の利益になるという点に関しては、すべての経済学者が事実上の完全一致をみせてきた

 

 ところが関税はいまやありふれたものとなってしまった。

 

 以上(MRフリードマン『選択の自由』、日本経済新聞社、6566

 

 ハイエク曰く、

 

 市場や原資源を求める自由な競争(WTOTPPなどの自由貿易に関するルールの下での自由競争)に代えて、国家なり組織集団なりの間での交渉(ケース・バイ・ケースによる国家間での政府交渉)ので事を処理していけば、国際摩擦は減少するだろう、というのは最も致命的に危険な幻想の一つでしかない

 

 自由競争制度の「闘争」というのは、抽象的な表現にすぎず、逆に国家なり集団間の「交渉」というのは実はそれぞれの(国家・政府の政治的な)力比べなのだが、この主張は前者(=形成されたルールの下での自由な競争)に代えて後者国家・政府の政治力学)を用いよと主張しているのである。

 

 そして、(自由な競争においては)力に訴えることなく解決できる諸個人間競合関係であったものを、上位の法(=国際法・国際慣習など)に従う必要のない、強力で軍事力を持った国家間の闘争へと変えようとしているのである。

 

 以上(ハイエク『隷属への道』、春秋社、305

 

 読者の皆様、A Merry Christmas!

 

 本日の夜明け頃には、子供たちの喜ぶ笑顔が日本国中(東日本の被災者の家族の子供たちにも必ず…)に溢れることを祈っております!

 

 読者の皆さまには、いつも〔=ブログ作成者〕の稚拙な小論をお読み頂き、深く御礼申し上げます。

 

 さて、今回は「TPP(=環太平洋戦略的経済連携協定)交渉への日本国の参加の是非に関する問題(以下「TPP交渉参加問題」と略す)について、〔=ブログ作成者〕の意見を少しだけ述べたいと思う。

 

 TPP交渉参加問題に関しては、他の政策においては明確に反日・極左である野田民主党が参加を表明し、自由民主党自民党)の国会議員が参加撤回を求めたり、あるいは参加反対に回ったりという奇妙奇天烈な現象が生じたのは記憶に新しい。

 

 社民党日本共産党自由貿易協定であるTPP(=中共、ロシア抜き)への交渉参加に反対するのは、イデオロギー上至極当然の行動であるからここでの議論では無視する。

 

 また、巷では「TPP交渉参加は日本国を亡国に導くのだ!!」という「自由貿易亡国論」とも言うべき暴論が喧伝されている。

 

 だが、このような日本国の自称、政治・経済専門家らの語る「自由貿易亡国論」は、冒頭のM・フリードマンやFA・ハイエクなどの主張の引用にある通り、世界一流の経済学者の概ねすべてが合意する経済学的な結論と真逆の関係であって、容易に信じる訳にはいかない。

 

 そこで当然、世界の経済学者らが一致して唱える、自由貿易に関する国富論(あるいは、世界の諸国民の富論)の経済学の理論的根拠は何なのか?を知りたくなるだろう。

 

 今回は、Macro経済学の幾つかのモデルの分析から既に得られている結論、つまり世界の概ねすべての経済学者らが合意している理論的結論を列記した。

 

 ここでは紙幅の都合上、各モデルの分析手法や分析過程の解説などはすべて省略し、モデルの前提条件とモデル分析から得られている既知の結論(経済学的知見)のみを記述した。

 

 ※下記のモデル分析の詳細内容を理解したい読者の皆様及び日本国民は、各々、マクロ経済学の理論を体系的に学んで頂くしかないだろう。ここでは、ひとまず「結論の意味すること」だけを理解して頂きたいと思う。

 

 (1)Macro経済学における「長期小国開放経済モデル」分析の結論

 

 条件:長期、小国開放経済、実質利子率r=r*(所与の世界利子率)

 

 結論:保護主義的な貿易政策――関税・輸入割当(輸入量制限)――は純輸出(貿易収支)を変化させない(=増大させない)。

 

 つまり、保護主義的な貿易政策は貿易収支に影響を及ぼさない。

 

 そして重要なことは、保護主義的な貿易政策は、実質為替レートを増価させて、純輸出を一定に保つため、輸出と輸入を共に減少させ貿易量自体を収縮させることである。

 

 この「貿易量の縮小」という結論が、M・フリードマンやFA・ハイエクが述べるように「自由な国際貿易こそが通商国だけでなく世界全体のためにとって最善の利益になるという点に関しては、すべての経済学者が事実上の完全一致をみせてきた」というの経済学上の理論的根拠を与えているのである。

 

 他のモデルについても、経済学上の結論のみを示す。そこでも同様の結論が得られることがわかるであろう。

 

 (2)Macro経済学における「長期大国開放経済モデル」分析の結論

 

 条件:長期、大国開放経済

 

 結論:保護主義的な貿易政策――関税・輸入割当(輸入量制限)――は、実質利子率r、対外純投資を一定に留め、実質為替レートを増価させて、純輸出貿易収支を一定に保つ(=増大させない)という結論となる。

 

 つまり、小国開放モデルと同様に、実質為替レートを増価させて、純輸出を一定に保つため、輸出と輸入を共に減少させ貿易量自体を収縮させる

 

 (3)Macro経済学における「マンデル=フレミングモデル」分析の結論

 

 条件:短期、小国開放経済、実質利子率r=r*(所与の世界利子率)、変動為替レート制

 

 結論LM曲線は垂直となる(∵ 価格硬直的、r=定数)ため、保護主義的な貿易政策――関税・輸入割当(輸入量制限)――は、名目為替レートを引き上げるが、所得を変化させない(増大させない)。

 

 また、貿易制限政策(保護政策)は、名目為替レートを引き上げるが、純輸出を一定に保つ(=貿易収支は変化しない)という結論となる。

 

 つまり、「長期開放経済モデル」と同様に、実質為替レートを増価させて、純輸出を一定に保つため、輸出と輸入を共に減少させ貿易量自体を収縮させる

 

 (4)Macro経済学における「マンデル=フレミングモデル」分析の結論

 

 条件:短期、大国開放経済、変動為替レート制

 

 結論:保護主義的な貿易政策――関税・輸入割当(輸入量制限)――は、純輸出曲線を増大方向(外側)へシフトさせるが、貸付資金市場には何の変化も生じず、実質利子率rは一定に留まり、対外純投資も一定に留まる。

 

 よって、純輸出曲線のシフトは、名目為替レートを引き上げるが、純輸出を一定に保ち、所得も変化させない

 

 つまり、「短期、小国開放経済モデル」と同様に、実質為替レートを増価させて、純輸出を一定に保つため、輸出と輸入を共に減少させ貿易量自体を収縮させる

 

 さらに、次のような興味深い経済学的結論があるので、知っておいても損はないだろう(モデルの前提条件には注意が必要)。

 

 (a) 変動為替レート下における、短期小国開放経済モデルマンデル=フレミングモデル)の政府の財政・金融政策効果に関する経済学的結論

 

  ① 政府の拡張的財政政策(政府購入や減税)の効果

 

  所得を同じ水準に留める(=所得水準は一定に留まり増大しない)。

 

  開放経済では、財政拡張による一国の貯蓄の減少が対外純投資の低下をもたらし、名目為替レートの増価をもたらすからである。

 

  名目為替レートの増価は純輸出を減らし、それが財・サービスの国内需要を相殺する(=拡張的財政政策は所得に影響を与えず、所得は一定に保たれる)。

 

  ② 中央銀行拡張的金融政策効果

 

  中央銀行が貨幣供給を増大は、実質貨幣残高の増大を意味する。

 

  よって名目為替レートは下落し、所得は増大する。

 

 (b)変動為替レート下における、短期大国開放経済モデルマンデル=フレミングモデル)の政府の財政・金融政策効果に関する経済学的結論

 

  ① 政府の拡張的財政政策(政府購入や減税)の効果

 

  IS曲線のシフトが所得水準と実質利子率を増大させ、対外純投資が減少。

 

  対外純投資の減少は自国通貨の名目為替レートを増価し、純輸出は低下する。

 

  短期小国開放経済とは異なり、財政政策が所得を増大させる。

 

  閉鎖経済では、財政政策の乗数効果は実質利子率の上昇による投資のクラウディング・アウトによって弱められる。

 

  これに加えて、短期大国開放経済では、実質利子率の上昇によって、対外純投資が低下し、名目為替レートが増加し純輸出が減少することによって、財政政策の効果は確実に弱められる。

 

  ② 中央銀行拡張的金融政策効果

 

  LM曲線のシフトが所得水準を増大させ、実質利子率は下落させる。

 

  低い実質利子率は、対外純投資を増大させ、名目為替レートが減価して純輸出は増大する。

 

 結論まとめ

 

 ◆ 関税や輸入制限などの保護主義的な貿易政策は、純輸出(貿易収支)を変化させない貿易収支に影響を与えない)。

 

 保護主義的な貿易政策は、貿易量自体を収縮させる。

 ◆ 短期小国開放経済モデル(マンデル=フレミング・モデル)によれば、政府の拡張的財政政策(政府購入や減税)は国民所得水準を増大させず一定に保つ

 ◆ 短期大国開放経済モデル(マンデル=フレミング・モデル)によれば、財政政策の効果は、投資のクラウディング・アウトと名目為替レートの増価による純輸出の減少の効果が合わさって、確実に弱められる。

 

 〔=ブログ作成者〕の意見

 

 ◇ 民間資本が主体である自由貿易を否定し、自由貿易の担い手が国家(政府)である、あるいは貿易は国家が管理・統制するものであると勘違いしている自由貿易亡国論者とは、ハイエクが述べているように確信的な経済統制主義者であり、国家間の力の闘争論者であるから、必然として彼らの対外的及び対内的経済・財政政策に関する主張は、自由主義と真逆さまの社会主義・共産主義の論理となるのである。

 

【平成231224AM4:00神戸発】

 

エドマンド・バークを信奉する保守主義者 

  

 

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